平田敏清はKojimaで40年間、デニムをテキスタイルアートに変え続けた。彼の死から数ヶ月後、世界最大のラグジュアリーグループに連なるファンドが彼のブランドを買収した。ものづくり対スケーリング。

Kojimaは絵に描いたような村ではない。岡山県の小さな工業都市で、丘と瀬戸内海に挟まれ、空気には塩と藍の匂いが漂う。「デニムストリート」、観光客にはJeans Street、は300メートルほどの路地で、小さな店が軒を連ねている。狭いショーウィンドウの奥にセルビッジ生地のロールが積まれている。シャトル織機のガチャガチャという音が歩道まで聞こえてくる。天然藍の甕に手を突っ込み、肘まで青く染まった職人たちが手染めをしている。

ここが日本のデニム発祥の地だ。東京でも大阪でもない。Kojima。学校の制服を織っていた工房が、1960年代にアメリカのジーンズと出会った場所。生地は変わった。技は残った。

糸と針の40年

平田敏清は1984年にKapitalを設立した。ファッションブランドではない、工房として。名前は言葉遊びだ。「capital」を日本式に綴り、KojimaにつながるKで始まる。平田はジーンズを作りたかったのではない。何かを語る衣服を作りたかったのだ。

デニムは出発点に過ぎず、平田はさらに遠くへ向かった。農村の日本で生まれた布地補強の技法、刺し子を蘇らせた。農民が使い古した衣服を白い木綿糸で繕い、幾何学模様を描いたあの技法だ。襤褸(ボロ)も取り入れた。継ぎ当ての美学、疲れた布を唯一無二のものに変える修繕の芸術。パッチワークが彼のシグネチャーとなった。異なる色合い、異なるテクスチャーのデニムの断片が、テキスタイルのパズルのように組み合わされる。

各コレクションは旅だった。平田はアメリカの軍服、日本の作業着の着物、瀬戸内海の漁師の衣服からインスピレーションを得た。東洋と西洋を混ぜ合わせながら、決してパスティーシュに陥ることはなかった。デニムジャケットが1950年代の整備士のブルゾンのパターンに刺し子模様を載せることもあった。日本の作業パンツが、徳島の藍で染めたセルビッジで仕立てられることもあった。

これはファッションではなかった。テキスタイルアートだった。そして世界中のコレクターがそれを知っていた。

4月の沈黙

2024年4月、平田敏清が亡くなった。40年のKapitalが彼とともに消えた。ニュースは日本のデニム界で静かに広がり、次に専門フォーラムへ、そして沈黙の中へ消えていった。

日本の職人技における継承の問題は、正面から見たくない課題だ。匠たちは齢を重ねている。子供たちが必ずしも跡を継ぐわけではない。弟子は減っている。創業者が去ると、揺らぐのは往々にして一つの技の体系全体だ。教えることのできる技術だけではなく、ビジョンが。布を見て、何かが足りないと判断し、それが何であるかを正確に知る、あの独自の眼差しが。

平田はそのビジョンそのものだった。彼なくして、Kapitalにはカタログと店舗と名声を持つブランドが残る。だが、一つ一つの作品がなぜ存在するのかを決めていた創造のエンジンは止まった。

小切手

創業者の死から数ヶ月後、発表があった。世界最大のラグジュアリーグループに連なる投資ファンドがKapitalの株式を取得した。取引の正確な条件は公表されなかった。金額は非開示。プレスリリースは「国際展開」と「職人の遺産の保全」を語った。

見慣れたシナリオだ。ファンドが強いアイデンティティを持つブランドを見つける。多くの場合、脆弱な瞬間に。死、世代交代、商業的な停滞。投資する。海外展開、成長、リソースを約束する。何も変えないとも約束する。

ラグジュアリー業界では、こうした約束には計算された賞味期限がある。契約が締結され、チームが入れ替わり、最初の「戦略的調整」が実行されるまでの期間。3年、長くて5年。それ以上はまれだ。

他のブランドでその後を知っている。生産は「合理化」される。原材料は「最適化」される。流通は「拡大」される。各々の婉曲表現が同じ現実を隠している。より多く、より粗く、より高く。名前は残る。中身は蒸発する。

Kapitalは違うのか? 誰にもわからない。だが疑念は、すでにそこにある。

残る者たち

Kapitalのかつての工房から数本先の通り、Kojimaの同じ界隈で、他の職人たちが働いている。彼らは買収されていない。おそらく永遠にされないだろう。買収するものがないからだ。カタログも、店舗網も、「スケーラブル」なブランドもない。

大石真雄は70歳を超えている。Levi’s Japanの元社員、1960年代のCanton Jeansプロジェクトの中心人物で、ヴィンテージのシャトル織機一台で「Secret Denim」を織っている。ONI Denimは彼であり、彼だけだ。ウェブサイトなし、電話番号なし、公式ディストリビューターなし。口コミのみ。彼が使うスラブ糸は「事実上消滅した」機械で作られている。彼が蘇らせた忘れられた技術だ。熟練の織り手が織機の設定を正確に再現したとしても、この生地は再現できない。Secret Denimは文字通り再現不可能だ。

ONIはどの投資ファンドの関心も引かない。「成長ポテンシャル」も「国際シナジー」も「ポジショニングすべきブランド」もない。一人の男、一台の織機、一枚の布。大石が止まれば、ONIは止まる。それだけだ。

KojimaのもうひとつのMomotaroも独立を保っている。伝統的な手法で天然藍染めされた、卓越した品質のセルビッジデニムを生産している。資本にファンドなし、上場の予定もなし。布、糸、仕事。

これらのブランドは、別の道があることを証明している。目立たず、利益率も低いが、無傷だ。Kojimaのデニムは買収で死ぬのではない。最後の職人が織機を止めたとき、死ぬのだ。

ものづくり対スケーリング

日本語にはそのための言葉がある。ものづくり。文字通り「ものを作ること」。だがこの言葉は訳語以上のものを含んでいる。プロセスが結果と同じくらい重要な製造の哲学を指す。忍耐、継続的改善、近道の拒否。ものづくりはスケールしない。合理化できない。国際的に「展開」できない。

これこそがKapitalのようなブランドをラグジュアリー市場にとって貴重にしているものだ。そしてこれこそが、ラグジュアリー市場がそれを買収することで破壊するものだ。パラドックスは完璧だ。その真正性ゆえに職人技を買い、そしてその真正性を可能にしていた条件を排除する。

Kojimaは染め続け、織り続け、縫い続けるだろう。独立した工房は職人が持ちこたえる限り生き残る。だが日本のデニムの地図は変わりつつある。魂を保ちながら成長できたブランドは標的になりつつある。成長を拒むブランドは自由だが、脆い。

資本と技の間、スケーリングとものづくりの間に、妥協はない。選択があるだけだ。Kapitalは選んだ。いや正確には、誰かが代わりに選んだ。

Kojimaの藍甕は、貸借対照表を読むことができない。ただ染める。それだけが求められていることだ。